選別眼

何が荒らしで何が荒らしでないか、その内容を取捨選択できるか。
何故それが荒らされたか、その対象に自分がなりうるか。
そういう見極めをする眼力を育てることは、ネット社会の恩恵を受ける上でも作品という自分の裸体を晒す上でも絶対に必要だと思っているのだがどうだろう。
いいとこ取りをしたければそれなりのスキルが必要だと思うのだがどうだろう。
やっぱりネットの表層をうろつくだけではそういう力は備わらないんだろうか。
某2ch(某じゃねぇ)の洗礼でも受けないと無理なんだろうか。


(自分以外の作品が)攻撃を受けていて怖い、内容が正しくても言い方があると思う、怖いからもう自分の作品も投稿しない、という人がいた。
それは、自分の弱さで読者を裏切ってやしないか。
どうしてもというなら、声高に叫ばずただ投稿をやめればいいだけではないか。
怖いという気持ちは判る。 しかし、その人の作品は間違っても荒らしを受けるようなレベルのものではなかった。 受けたとしてもいちゃもんの域を出ることはできないだろう。
私がショックだったのは、問題の作品が客観的に見てあまりにもお粗末なものであり、それ故に荒らしを受けていた、だから自分はそんな荒らしを恐れる必要がないという思考を彼女がしなかったということだ。


もう一つ。 その人は、投稿して感想(ほぼ全て固定客からの優しいもの)を貰うだけで他者の作品には一切感想を書いていなかった。
その理由自体はどうでもいい。 謙虚さ故かもしれないし、どれにも感想を付ける気がしなかったのかもしれない。
が、「(単なる荒らしも含め)攻撃される作者が気の毒」というのなら、あまりの駄作故にスルーされまくっている物を気の毒と思ってレスをつけたりは何故しなかったのか。
自分の作品を発表するに当たって、最も辛いのは「無視」だ。
そうは思わなかったのだろうか。


私だって怖かった。 ボロクソにされるかもしれない、反応がないかもしれないと。
幸いそれはなく、今では今回問題になっているレベルの攻撃は受けない自信も、駄作とそうでない物の区別もつくようになった。
だから怖くない。 荒らされてもスルーできると思う。 いや、MPダメージの程は判らないけど(笑)、区別は多分できる。 しないといけないと思う。 読んでくれてる人の為に。
おいしいとこ取りができる保証がないぐらいのことは判っているつもりだ。


その人は、自分が貰った感想に対するレスまで休んだ。 今はその気になれない、と。
個人差があるのは判っている。 しかし繊細すぎやしないか。
作品を発表するということは、もっと強くかつ謙虚でないと続かないのではないか。
温室の中でだけぬくぬくと遊びたければ、身内のコミュニティから出るべきではないのではないか。


理想論ばかりで、頭でっかちだろうか。
これでも結構弱い人間のつもりだし、だからこそこの理論武装だとも思っている。
そして実際厳しい叩かれ方をしたら尻尾を巻くかもしれないが、少なくともこのくらいの事は物を書く人間なら考えているものだと思っていた。
違うのだろうか。 物を書く段階を経るうちに、こういう思考に辿りつくものではないのか。


いいものを書く人は、人格や性格は問わないが、強くはあってほしい。 強くなってほしい。
無理な甘い願いなのだろうか。