老人の嘆き

講談社『類語大辞典』の研究―辞書がこんなに杜撰でいいかしら

講談社『類語大辞典』の研究―辞書がこんなに杜撰でいいかしら

読了。
予想に違わず面白かった。 そして勉強になった。


この著者である西山里見氏は、日本と日本語を大変に愛している。
そして80に手が届こうという高齢ながら、実に客観的で攻撃的な、恥を恐れず自己犠牲に富み、なおかつユーモラスでおちゃめな文章を書く方だ。
そんなかわいらしくも恐ろしいご老人が存在するというときめきを目の当たりにできただけでも、この本を買った意味は十分にあると思えた。


さて内容は、当然ながら件の類語辞典がいかにずさんかという検証と糾弾に尽きる。
いや実際驚きましたね、並程度の日本語力(?)しかないはずの私ですら「えっそれじゃヤバイだろう」という語釈・用例がばんばん出て来る。
基本的に、問題のある言葉を挙げてその解説をする、という流れで進むのだが、始めのうちはなるほどと思いつつその例を追っていくだけだったのだが、進むにつれ「む、ここがおかしくないか」と予想ができるようになっていったのが非常に楽しく、また達成感に浸れた(笑)


まぁそれが「進むにつれ」であったことが、私も例に漏れず「辞書を疑う」という回路を持っていなかった証拠なんだなとも思い。


かつて自らも辞書の編纂に携わり、また糾弾のみに留まらず代案をも掲示するという姿勢故に、どんなに口うるさいと言われようともこのご老人にはそれを言う資格がある。
日本という存在をこよなく愛し、よい辞書を見たい、出版に、辞書作りに、即ち言葉作りに矜持と誠意を、と主張するが故に、どうしても繰り返しが多くなり(本人も苦笑いをしているが)小姑のようなちくちくした愚痴と嘆きがちりばめられようとも、このご老人にはそれを言う事が許される。


そんな細かい事に目くじらを立てるななどと言うなかれ、辞書を作るというのはそもそもがそういう作業であらねばならない、無謬の具現であるはずの『辞書』作りに妥協やたるみなど許されない、という、聞けば当然の主張に並々ならぬ清々しさを感じた。
読み物としても学ぶ書としても、近年で五本の指に入る本だったと思う。
前著 辞書がこんなに面白くていいかしら―三省堂『新明解国語辞典』主幹に宛てた三通の手紙 もぜひ読みたいのだが、amazonにも近所の本屋にもなくて困り中。 発見次第捕獲の予定。


なんていうかっちりした物言いのスイッチが入れられたことも大きな収穫だったりな(笑)