着地点のいくつか

kashmi_r2004-08-23

お話を書き始めた頃に、物語を書く事の着地点をうんちゃらという話を垂れ流したわけだが。


昨日、私の中で何かの機が勝手に熟したらしく、お話を書いている事をダンナにポロっと言ってみた。
恐れていた程大仰には驚かれなかったし、できたら見せてとも言ってくれて大変嬉しかったわけで(当然「プロには見せん」と言っておいたけど)、これでやっと何かが「すとん」と落ちついたような気がする。


先日からぽつぽつと投稿している某所では、反応があったりなかったり甘かったりする。
まだ「貰う評価」の扱い方というか、それを自分の中でどのように重くするかが確立できていない私が、ここを「拠り所」にするのは難しいと思っていた。
自分の為以外の「書いている理由」というのがぐらついて、モチベーションに関わってしまうような。
FFという枠があるから、そのゲームを知らない人からの評価は望めないし。
まぁ弱いワケですよ。 まだまだ。


それが、昨日で一応固まった。
とりあえず「もういいや」と思えるまでFFネタをこねくりまわして書きまくる。 それは練習のため。
色んな方向性で書いてみてあらゆる可能性を試す。
何しろこの数日門外不出ネタを鬼のような集中力で書いてみて、ここまでで私には致命的に書けていないものがあった事に気付いてしまったから。
こういう発見というか開眼はまだまだあるだろう。 というか一生そうなんだろう。


だから思いつく限り書く。 求心力の強いものから順に消化していって、徐々にオリジナルに移行する。
で、これなら見せてもいいなと思えるものが書けたら、ダンナに見てもらう。
そういうものが書けるようになる事を目指して、キーボを叩こうと決めた。


某所には続けて投稿するけど、多くは期待しない。
一つ書き上がったその瞬間瞬間の「昇華」の為の発表と思えるようになった。
やはり文章は、読まれて初めて完結するということらしいから。
反応がなくても、誰かの目には入っていると思って納得することにした。
これがまず、外的着地点その1。


で、内的着地点がひとつ。
これも門外不出ネタを書いていて気付いたのだが、「言葉を研ぎ澄ますこと」の手応えそのものをやっと楽しめるようになったような気がする。
今まではとにかく書き上げる事に必死だった。 色々な状況の絡む話で不整合がないように、不自然な所がないように、話として破綻していないように。
つまりその話の内容・状況に気を取られがちだった。
ところが「単純な一つの心理」を書き上げるという作業をしてみて、その書き方が全く違う事に気付いてしまった。
それは下手すると、これまで書いてきたお話が全部リライトできてしまうかもしれないくらいの差。
相当な時間と回数をかけて登場人物の心理に沈み込んだり。
「静か」を「静か」と書いて納得できなかったり。


彫刻か、あるいは粘土細工。
言葉そのものを、文章そのものを、何度も何度も付け足して削って磨いで俯瞰して。
お話の「内容」とはまた別のフィールドで、自分の可能な限り「上質な文章」を作り上げたいと思った。
判っていたつもりでも、そういう作業がまだまだ甘かったことに愕然とした。


そのネタが書きたくて手をつけていた長編を休んだわけだが、結果的にそうしてよかった。
もうひとつふたつこういう心理方面の書き方を短編で練習して、それから臨もうと思う。 その方が絶対面白くなる。


まぁぶっちゃけ「そっち」のお話が面白くてしょうがないというのもあるわけですガッ!!(笑)


その「門外不出・関係者に万一発見されたら首吊りネタ(笑)」も、これから書く長編の番外編としては成立するので、終わったらアップしてみちゃおうかなーというイタズラ心もあったりしますが。
終わったらって。 遠いなおい。 後ろから書いてどうするよ。


なーんて事も後から読んだら赤面モノ確実。
若いっていいよね。 若くねぇよ。