誰でもなれるのか

kashmi_r2005-01-14

本日の係長。 スペックはぶっちゃけそこらのオバチャン。


事務用品の引き出しをガサガサやっておられるので何事かと声をかけたら、箱のままのFDDを指して「このDOS/Vって、普通のフロッピーと同じ?」とのたまわれる。
ええ同じですよ地の果てまでも同じですよと(腹の中で)答え、でも「普通のフロッピー」として今まさに手にしているそれを使っちゃえばいいんじゃないですか、ラベルもついてないし、と言うと、新しいのとそれの両方を持って席に戻られた。


しばしの後、「あら、これ何か入ってるわ、とっておいた方がいいんじゃない?」とそのフロッピーを私の所に持ってきて「中身書いてしまっといて、何かでいるかもしれないし」と仰る。
「え、何のフロッピーでした?」と聞くと「古いし何かわかんないけど、何かの時にいるかもしれないから」とのこと。
ああもうどこからつっこんでいいのやらの気持ちに早くもなりながら中身を見ると、日付からして5年前。
ファイル名は実にシンプルに「参加者名簿」とかなんとか一太郎ファイルが4つほど、開いてみればタイトルはなんちゃら研究棟落成式の招待客名簿。
うわーもう予想通り200%いらneeeeeと思いながら、それでもおもいっきりそのタイトルヘッダをラベルに書いて張って持って行くと。
「ああ、私の所に持ってこなくてもいいから、どっかしまっといて」


いいかおばちゃん、ちょっとそこに座れ。 正座だ。
要るかもしれない、と判断したのはあんただ。
間違いなくファイルの中身も見ずに単に「名簿」という響きに脊髄反射してあたかもお菓子の空き箱をしまいこむかのように気軽に言っているのだろうが、それでもこれを見つけて、そして取っておくと判断したのはあんただ。
つまりあんた以外はこの名簿の存在を知らない。 何しろラベルもなしに放り込まれていたフロッピーだ、それは確実だ。
そのあんたが? 肝心の内容も把握せずにラベルのタイトルすら見ようとせずに「そこらにしまっといて」?
では万が一このフロッピーの内容を活用できる場面が発生した場合、一体誰がこの存在を思い出して取り出して活用できるというのだ?
間違いなく誰もできない。 何しろ「とっといて」と言った本人ですら、その中身がどんなものなのか全く知らないのだから。
これを「とってある」と呼べる状態だと思っているのなら、笑止を通り越してもはや哀しさすら覚える。
「その存在を誰も知らない」という事と「ない」という事の間に、一体どんな差があるというのか。


判断力とか、分析力とか。 いいや、ここまでくれば「思考力」だな。
そういった根本的なものから疑わずにはいられない。
色々な案件が難航しているという愚痴をそこかしこで聞くが、むべなるかな、だ。
こんな船頭が何人もいる船、そりゃ山に登りっぱなしになるだろう。


正社員でなくてよかった、と思われる事を、どうお考えになりますか。